タコス・ピクルス・黄昏・家族・若葉
帰省の時間はすぐに過ぎ去ってゆく。11日夜は、学生時代からのなじみの店に妻と行った。ここのタコスは最高に美味しく、ピクルスの辛さは天下逸品。僕たちは久しぶりにママとの楽しいひと時を過ごした。
12日は母を見舞った。介護施設に入所している母はリハビリが進んで、元気を取り戻しているようで安堵する。施設内には、人生の黄昏時を迎えた人達が、静かに暮らしている。それを若い介護師の皆さまが努めて明るく接している。郁さんが買った母の日のプレゼントを渡したら、たいそう喜んで、すぐに着てくれた。
家に帰って、父と家族で食事をした。やがて家を出た長女も帰ってきて話をした。ひょんなことから、Mr.Children のニューアルバムの話になって、妻がすぐに買いに行こうと言いだして、近所のTSUTAYAへ長女の車で行って買って夜は更けていった。
今日は16時の羽田発のANAに乗って札幌へ行かなければならない。中央線は、国立駅の人身事故で不通だった為に立川から南武線で川崎経由で羽田に行った。東京ではこのように人身事故が日常茶飯事になっていて、誰も不思議にさえ思わなくなっている。兵士が戦死するように、自らの命を絶つ人が東京には多数いる。消耗して衰弱しているのにも関わらず、自分の事で精いっぱいの都会の暮らしがある。
家の近くの公園のサクラも今は、若葉が茂る。
白鳥の歌なんか聞こえない
昭和50年生まれの薫と由美の青春小説。
携帯インターネットもない時代の話。
青春とは若すぎて、生きるとか、死ぬとかいうことにリアリティーを感じるほど経験を積んでいないから、形而上学的に理解しようとする。
だからそれらの意味を過大に価値あるモノとか過度に価値ないモノとして議論したりする。
注目されている人が最後の瞬間をとげる時に、関係者は耳を澄ます。まるでその人の人生が死ぬときにわかるかのように。まるで白鳥の歌が聞こえるというように…。でも白鳥の歌なんで聞こえない…。
この年になってから再び読んでも、わるくない。
ツバメ フライト 黒ビール
4月8日(日)帰省で福生に帰っていた時、多摩川の公園で佇んでいたら、池の周りにツバメが飛び交っていた。
舌を連打するようなさえずりが、懐かしく初夏を告げていた。ツバメを見ることができたことはとても嬉しかったし感動した。
4月10日(月)に羽田空港で、新千歳行き11時発の飛行機を待った。空港は、旅人の高揚感と、ビジネスライクな人々と、僕のような人でそれぞれの感情が渦巻いている。フライト中の空は晴れていて、富士山や十和田湖や、竜飛岬がよく見え、定刻少し遅れて90分で新千歳空港に着陸した。
当初、たった90分で東北を北上し、津軽海峡を渡ってしまう事に違和感を覚えたものだが、いまは当たり前のように行き来してしまっている。
札幌では、新発売のビールなど一人で飲みながら、またこちらの生活が始まる。
こちらの生活リズムに慣れるまで、また少し時間が必要となる。
ニセコ五色温泉
暦は4月に入って、札幌では青空が見えてきたので前から行ってみようと思っていた五色温泉へ車で向かった。ついつい冬は部屋にこもりがちになってしまうが、今日思い切って出発。
R230で定山渓を過ぎ、中山峠 までは青空が美しかった。雪と山並みと空を見ていると春が近いかな、と感じる。ところが、中山峠を越えると雪雲に覆われた空から雪が舞い始め、辺りは色を失ってしまった。
青空をバックに羊蹄山を眺めるつもりが、雪雲の中の羊蹄山になってしまった。それでも、路面に雪は積もっていないから運転は大分楽になった。
喜茂別、真狩、ニセコと羊蹄山の南側をスイスイ走って、県道66号線で羊蹄山西側を北上する。この道は除雪はされているが、片側1.5車線位だけの除雪状況で、対向車が来ると思わずブレーキ。まだまだ雪深い道だった。
新見温泉、雪秩父温泉を過ぎてほどなく五色温泉に到着。このあたりは温泉の宝庫で夏はバイクで走るのも大変気持ちのいいルートだ。
五色温泉駐車場に入ってみると、温泉の建物自体が深く雪の中に埋もれていた。このあたりの冬は相当厳しい暮らしになるのだろうと想像される。
温泉には客も少なく、ほぼ貸切状態。お湯は完全にかけ流しで、硫黄臭がするものの、色はコバルトブルーだった。室内に二つある浴槽の一つは温度が高く設定されていて、草津の白旗の湯を思い出した。
最近あちこちにできている温泉は循環式が多い中でかけ流しの温泉はやはり醍醐味が違う。
帰りは喜茂別のきのこ王国で天ざるを食べて帰った。久しぶりに北海道最高~!!って感じの温泉に入った。
白い雪
そろそろ日付も変わろうとしている深夜に、カーテンの隙間から外を見ると、一面雪景色。いつの間にか雪が降り始めていたようだ。
この愚かなる営みを、凍らせるような白い雪が、ある意味心地よかったりする。
札幌
すっかりこちらの生活にも慣れてしまい、人口密度の希薄な地下鉄と、雪に埋もれた長い冬と、地平線の見える高速道路などに驚くこともなくなってきた。
今となっては、ここが第二の故郷になるのかもしれないなどと思う。こちらの人達は総じて、静かで東京人に近い雰囲気がある。それは明治になって各地から移住してきたという事もあるだろう。仙台から来た人たちは、伊達市をつくり、十津川村から来た人は新十津川町をつくったという。今の北海道は本州各地からの移民の歴史だ。
はたして首都東京はどうだろう。そもそも東京人自体が、各地からの移民の都市なのだから、札幌と東京が似ていてもおかしくない。
札幌の人たちは、今日も静かに地下鉄に乗り、新宿西口の地下通路のように、足早に地下通路を歩いている。違うのは、車で30分も走ると遠くまで見通せる景色が広がるということだ。



















































































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